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2006年05月22日
日野市「農の学校」を終了して
1期生 井坪 恒夫
農業者の高齢化と後継者不足による農業の担い手不足を解消するため、援農ボランティア養成講座「農の学校」が平成17年1月に開校しました。24名が受講し、22名が昨年12月に修了しました。今年の4月より修了生による援農活動が始まります。市民による日野の農地を保全し、農業を応援する活動として大きな期待が寄せられています。
研修を終えた私の心境は、農業に関わったというより、やっと「日野市民」になれたという、日野市民としての実感が湧いてきております。36年前の結婚当時、日野の緑の多さ、自然環境の豊かさが気に入り居を構えました。以来ずっと百草に住んでいますが、早朝出勤、深夜帰宅の生活で、自然を満喫する余裕はありませんでした。寝泊まりの場に過ぎず、日野市民としての自覚など全くありませんでした。それが昨年1年間、地元農家の方々と日野の土地で共に汗を流して土作りから収穫までの体験をした結果、日野に住んでいる実感を得たのです。今まではほとんど見向きもしなかった「広報ひの」を楽しみに読み、市や地域の情報を活用している今日この頃です。
養成講座の実習では、農家の方々から、土作りから収穫までのあらゆる作業を教わりました。
「畑を勝手に歩かないで! 土を踏み固めないで!」
「鍬はこう使うんだよ。それじゃあ危ない!」
「種は3粒ずつ播いて! ここは6粒あるよ」
ニンジンや白菜等の間引きでは、野菜を傷めないように丁寧に扱うこと、収穫では、泥をつけないよう大切に扱うことを学びました。
畑作業の基本である草取りでは、「後を見なさい、もう少し丁寧に」と言われ、後片付けでは道具がサビないようにと何回も注意を受けました。畑、作物、道具を大切にすることが、良い作物作りにつながることを教わりました。
講義では、農協の方々から土づくり、肥料・農薬の正しい知識、使い方を教わりました。誤解による過度な警戒心も解けて日野野菜に対する安心感が生まれました。
こんな1年間でしたが、農場で食べたトウモロコシが甘かったこと、暑い最中、スイカを鎌で切ってかぶりついた時の何とも言えない新鮮さ、おいしさ。間引き野菜のお浸しの柔らかだったこと。野菜を愛おしく感じるようになりました。我が家の野菜嫌いの年寄りが「おいしい、おいしい」と言って食べてくれました。最近は農協や直売所をめぐり、日野の新鮮野菜を楽しんでいます。私の大好物は「野良坊」です。
実は私自身は信州の農家の次男として生まれ、約20年間、農作業を手伝いながら、育ちました。当時の人力に頼る作業は過酷で大変でした。2度と農業はやりたくないとの思いでずっと過ごしてきました。田舎に帰る度に、親戚からは「サラリーマンは定年があっていいなあー」と言われてきました。
ところが十数年前からは逆に「おれ達は定年がなくていいぞ! これからは楽しみながら農業をやるぞ。定年後はどうする?」こんな会話になりました。ちょうどその頃から、私も自然や田舎が恋しくなりはじめ、「週末田舎暮らし」「定年後田舎暮らし」等々を読みあさりました。「クラインガルテン」「体験農園」等の情報をいろいろ知りましたが、家庭や資金の問題等があります。
これからは日野を第二の郷土、終の棲家にして、都会と田舎暮らしの両方を楽しみたいと思います。サラリーマンを終えて、コミュニティの中で自然と共生していく上での大きなものが発見できました。
多くの方が、この活動に参加され、家の中から飛び出して田畑に出ることにより、日野の農地・自然を守ると共に、空き缶、ペットボトル等の投げ捨てを防止、さらには田畑から子どもたちを見守るとことにもつながるものと思っています。
その後、修了生によって「日野人・援農の会」が発足、4地域にグループ編成しました。この「湧水」がお手もとに届く頃には、メンバーが日野の農地で汗を流していることと思います。
投稿者 Ryokucchi : 2006年05月22日 10:51
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